読書感想文を書く意味[国語科 渡部]

夏休みの定番課題として「読書感想文」があります。みなさんも、人生で一度は書いたことがあるのではないでしょうか。小学校・中学校時代には毎年課題が出され、へきえきした人も多いかもしれません。なかには、「なぜ読書感想文を書かなければいけないの?」「本なんて好きに読んで終わりでいいじゃないか!」と思う人もいるかもしれません。
そこで、ちょうど夏休みが終わるこの時期に、私が考える「読書感想文を書く意味」についてお話したいと思います。

私自身は、読書感想文を書くことが好きでした。理由は二つあります。
一つ目の理由は、読書感想文には「答えがない」からです。
多くの場合、課題には決まった答えがあります。授業で学習した内容を正しく理解できているか確認するような問題には必ず正解があります。一方、読書感想文は自由です。自分が作品を読んで考えたこと、感じたこと、疑問に思ったことを書けばいいので、ひとつの決められた正解がありません。答えのない問題を考えることは、誰にも縛られることのない気安さとわくわくがあります。

二つ目の理由は、「新しい自分を知ることができる」からです。
作品を読んで、自分が気になったセリフや場面、印象に残った登場人物についてメモをしたり、本に線を引いたりします。「なぜこのセリフが気になるのかな」「なぜこの登場人物の行動にイライラするのだろう」「この場面はどういう意味?」など、作品を読んで疑問に思ったことを考えます。同じ作品を読んでも、厳密にいえば、他者と同じ感想を持つことはありません。なぜなら、その人が持つ視点や思想、心理状態によって、作品から受ける印象は変わるからです。自分が嫌いだと思った登場人物について考えるとき、実は自分にも同じような側面があったことに気づきます。なぜあのセリフがこんなにも心に突き刺さったのかと考えると、自分も同じように傷ついたことがあるのだと気づきます。

本を読むことで、日常生活では気づくことのなかった自分自身と出会うことができます。自分は本当は何が好きで、何が嫌いで、どんなことを良いと思って、どういう考えが許せないのか。そうやって私は自己を形成してきたように思います。

さまざまな作品を読み、自分とは違う人生を体験することで、自分が見えてきます。そして、自分が見えてくると、他人のこともよく見えるようになります。世の中にはいろいろな考え方やものの見方があります。そのどれが正解、ということはありません。本を読み、そこで考えたことをまとめる過程のなかで、自分とは異なる立場の人について想像する力と「自分はこう考える」という意思を育むことができるのです。

先行きの見えない社会のなかで、本当に自分が生きたい人生を歩むために、人は本を読み、そこで考えたことを言語化し、「自分」を獲得していく。これが、私が考える「読書感想文を書く意味」です。さて、みなさんはどう考えますか。

国語科 渡部

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